毎日深夜になると、ロシアのSOCHI(ソチ)で冬期オリンピックの実況映像が始まり寝不足になる、そして2020年の東京オリンピックへと思いは続く。
今から50年前の1964年10月24日午後5時半、私は青梅線終点の氷川駅(現奥多摩駅)前の食堂でラーメンを食べながら店のテレビで東京オリンピックの閉会式を見ていた。前日のオリンピック最終日マラソンで、エチオピアのアベベ,ビキラ選手が裸足で走り金メダルに輝き、二位の円谷幸吉選手が代々木国立競技場のゴール寸前でイギリスのベイジル、ヒートリー選手に抜かれて三位、銅メダルになった。
私達、五人会の山仲間(緒方、今泉、百瀬、西明、馬場)は1961年11月4日集合で、各自単独行で甲武信岳に集中登山をした事があった。私は青梅線最終便に乗り氷川駅で仮眠し,始発バスで丹波山下車、サオラ峠~飛龍山~和名倉山~川又(仮泊)~真の沢林道~甲武信小屋で仲間達と会い、翌日甲武信岳山頂から東沢を下って天科からバスで塩山駅。
今回は二度目の甲武信岳集中登山で、東京オリンピックのマラソンを見て奮起し、私は、氷川駅から石尾根を登り秩父主脈を甲武信岳迄24時間で駆け抜けようと計画した。
山日記の登山距離行程表で63kmある。当日の午後6時、氷川駅前を出発、懐中電灯の灯りを頼りに神社の階段を駆け登り、衣笠部落の横を三の木戸山~六つ石山~鷹巣山~七つ石山~ブナ坂と登った、奥多摩小屋の灯りを見たら途端に疲れが出て自然に小屋の中に入ってしまった(23時40分着)仮眠のつもりが気付いたら25日早朝の5時半、すぐに出発し雲取山~飛龍山(9時15分通過)~将監等峠~唐松尾山~笠取山~雁峠(13時45分通過)の巻道のほとんどは走って距離と時間を稼いだ。
甲武信岳 2,475m
足元はキャラバンシューズ、サブザックにお握り10個、みかん30個余とアンパン5個、甘納豆等。これまでに1~2泊したと思われる登山者を何組も追い抜いて15時半雁坂峠を通過した。夕暮れの迫る破風山の登りは寒風の為木の枝先には霧氷が付き、休むと震えが来た。懐中電灯の灯りも遂に点となり(スペア乾電池を忘れた為)月明かりを頼りに甲武信小屋目指して登っていたところ、水流でえぐれた溝状のところの岩角で思い切り右膝を打ち暫く歩行困難になった。約束の集合時間(18時甲武信小屋)までにと頑張ったが結果18時30分に到着し仲間達に合流出来た。
(63kmを24時間半で走破した)
*西沢コース:百瀬彰(10回生)池谷一郎(16回生)塩山駅~バスで天科~西沢遡行~金山沢下降~東沢遡行~甲武信小屋 ★ 以下()内「回生」省略
*鶏冠尾根コース:今泉郁夫(10)高沢正雄、阿部健(13)石田豊(17)塩山駅~バスで天科~鶏冠尾根~甲武信小屋
*十文字峠コース:佐藤守泰(15)清水明(16)小海線信濃川上駅~バスで梓山~十文字峠~甲武信小屋。
26日は全員で甲武信岳に登り、木賊山~戸渡り尾根を駆け下り天科からバスで塩山駅。
若いオリンピック選手の活躍を見ながら、はるか昔の若かった山仲間達の笑顔を思い浮かべ、すでに故人となっている、百瀬彰君、石田豊君のご冥福をお祈りします。
2014年2月20
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