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10回生・小出 雄一

 夢とは見るものでも追いかけるだけのものではない、かなえてこそ意味がある、小生のモットーとしている考えだ。

 花に舞来るチョウを追い続けて、あっという間に60年以上が過ぎてしまった。小生がチョウに興味を持ったのは小学校の5年生の時だ。山歩きの好きな父に連れられて山梨県の甘利山に登った時に頂上近くで、咲き誇るアザミの花に群がる赤いチョウ、クジャクチョウを見て、集めてみたら綺麗だろうな!と思ったのがきっかけだ。南北に長い日本にはおよそ250種類のチョウが住み着いているが、ほとんどのチョウのルーツは広大な中国大陸、この大陸に渡って思う存分チョウを採ってみたい!そんな思いが具体的になり始めたのは武蔵高で山岳部と生物部に入ってからの事だった。未だ見ぬ大陸の壮大な景色と群れ飛んでいるだろう多くのチョウ、行ってみたい、そんな熱い思いを先輩諸氏に語り続けたのを思い出す。 
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 夢の中心になった当時の中国大陸は遠く、その上、高い「竹のカーテン」に包まれた地で、何とかならないかと取得したパスポートの渡航先欄にも「エクセプト オブ メインランド オブ チャイナ」と無情の断り書きがつけられており、とても高校生が行けるようなところではなかった。

 大陸に渡ってチョウを採る、これが小生のかなえたい大きな夢になった。この夢がやっとかなったのは、それから数十年、竹のカーテンも断り書きもなくなり、小生も55歳という良い歳になってからで、大手の旅行社が初めて手がけた「秘境の地・九寨溝の旅」に参加し、初めて憧れの大陸に降り立った。

 「やっと中国にきたぞ!」しかし、この旅は難行の連続で、天候と悪路に災いされて目的地に近寄ることも出来なかった。「災い転じて福となす」という言い伝えがあるが、正にそのとおりだった、行く先を阻まれ、ツアーが放浪する中で、思いついたことは、この大陸はツアー旅ではダメ、目的地を勝手に決めて放浪旅、ほっつき歩きをするのが最上の手ベストなのだ!と。

 それから2年後、九塞溝ツアーのガイド役をしてくれた中国・成都の大学教授が相談相手になってくれ、無謀にもカミさんと2人で出かけた、当時は目的地成都への直行便はなく、その上中国国内線のチケットは中継地でしか買えなかった。片言の英語と日本語で、なんとか上海で成都までのチケットを買い、成都にたどりつき、空港で名札を持った教授が満面の笑顔で出迎えてくれた時は「着いた!夢の世界の始まりだ!と・・・・

 今ではガイドさんというよりは大の親友、中国語のポンヨウー(朋友)となった彼と一緒の放浪旅は毎年、多い年は3-4回も通っているが、今年で20年オーバーになる。チョウを追って、四川省、雲南省、甘粛省、青海省、湖南省、湖北省、陝西省、江蘇省、 広西壮族自治区、新彊維吾爾自治区、チベットと広大な地域を歩いたというよりは歩きつくしたといっても過言ではない。

 中国大陸にはいったい何種類ぐらいのチョウが生息しているのだろうか、広い大陸で今だに未発見の新種が見つかるという状況では見当もつかない。おそらく1000種近い種類がいるものと思われる。小生が大きな関心をもっているのは異型アゲハといわれるグループで、地球上からおよそ50種が知られているが、中国には95パーセントが生息している。アゲハチョウの祖先系、氷河時代の生き残りとも言われ、ほとんどが標高3000メートル以上の高山帯にいてこれまでに採ったこのチョウの仲間は5700メートルが最高地点だ。憧れの青いケシやキリンソウ仲間など緑の植物がほとんど無い瓦礫地帯をかなりのスピードで飛び回る小型のチョウを採るのは容易なことではない。高山帯でこのチョウを追っていると体力があっという間に落ちていくのが判る。空気が薄く、風も強い、そんな悪条件の中で20年間、毎年初夏に、大きな網を振り回す、このチョウにはそれだけの魅力が有るということだ。チョウ仲間からはいつしか超級大老爺=スーパー爺さんというニックネームを賜った。

 中国をうまく旅するコツは行った地に埋没することだと悟った。

 煌耀(後期)高齢者の仲間入りをした今年も6月下旬には出かける心算でいる。初めに書いた「夢はかなえるもの」という自分への約束を守るためだ、超級大老爺の大陸放浪旅はまだまだ続きそうで簡単には終わりそうも無い。