8回生・馬場 健治
こんにゃくは漢字で「蒟蒻」、中国「魔芋」ミャンマー 「Wa-U」 欧米では 「devil’ tongue」 悪魔の舌と呼び食べない、不思議な食べ物です。
食べる習慣の国は、日本、韓国、台湾(おでん)中国(魔芋豆腐)ラオス、カンボジア、等の少数民族、インドではでん粉質の多い種類の蒟蒻芋をカレーに入れ食べ、ネパールでは蕎麦のつなぎに、最近はイタリア、スペインで蒟蒻パスタが出てきたようだ。
蒟蒻は仏教伝来と共に中国から入って来たと言う説が有力で、室町時代初期には奈良に「こんにゃく座」が設けられ、蒟蒻を扱う商人達が居たと記録がある。豊臣秀吉が大阪城を作った時に石工達が吸い込んだ粉塵排出の為蒟蒻を常時食べていて「キンタマの砂下ろし」の記述がある。
海外へ
海外に行きたくて、山岳部後輩の野沢君と、昭和52年(1977年)貿易会社を作った。
知り合った台湾人の医者と台湾東北部海岸近くに粉末寒天製造工場を作った。工場建設中に台湾中部の露地栽培の菊の花を日本の正月から春の彼岸用に輸入販売した、花栽培農民に今迄台湾に無かった「カスミソウ」を植えさせて喜ばれた。その後「満天星」の名で中国に伝わり日本に逆輸入されていると聞く。
海外に行きたくて、山岳部後輩の野沢君と、昭和52年(1977年)貿易会社を作った。
知り合った台湾人の医者と台湾東北部海岸近くに粉末寒天製造工場を作った。工場建設中に台湾中部の露地栽培の菊の花を日本の正月から春の彼岸用に輸入販売した、花栽培農民に今迄台湾に無かった「カスミソウ」を植えさせて喜ばれた。その後「満天星」の名で中国に伝わり日本に逆輸入されていると聞く。
当時私は、台湾人が中国大陸に入国できないので、蒟蒻原料調査で中国各地を回り情報収集をした。香港の先、深?経済特区で蒟蒻製品製造工場の指導を手始めに、その後蒟蒻に関連のある三十都市以上の地域を回った、雲南省(昆明、昭通、永善)四川省(成都、南充、重慶、安県、宜賓、都江堰、大邑県)貴州省(貴陽)湖北省(武漢、宜昌、荊州)湖南省(南昌)福建省(福州、厦門)海南島(海口)西安、青島、蘇州、上海、保定、北京、大連、瀋陽、丹東、内モンゴル烏蘭浩特、等々。
平成4年(1992年)香港に食品貿易会社を設立し香港島銅鑼湾に事務所を開設した(1997年中国返還時閉鎖)。香港を拠点に平成6年(1994年)タイ、チョンブリ県シラチャの食品工場内に、私の考案した穴あき(ちくわ状の)蒟蒻製造、米粒状こんにゃく製造ライン(1989年特許取得)を設置、ちくわ蒟蒻は、穴に牛蒡、昆布、かにカマボコ等詰め味付けた食材、現在、粒状蒟蒻は台湾、タイ、中国厦門等で果物ジュースにパチンコ玉位の蒟蒻を入れ太いストローで吸い飲みして好評との事。
近年は、山岳部後輩の向後君(マングローブ植林行動計画代表)がミャンマーで1999年から進めているイラワジデルタ地帯のマングローブ植林計画の他に、至る所に自生している蒟蒻芋を商品化する事が私の役割で、平成15年(2003年)以来度々ミャンマー通いをして現地農民の収入につながる様に指導を続けている「蒟蒻芋原産地」の中心はミャンマーで良い品種を選び栽培して行くプロジェクトは、私の健康が続くかぎり今後も続けて行く事になる。
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