8回生・馬場 健治
*1953年(昭和28年)5回生として初めて男子生徒が卒業する。*8回生の馬場は1954年(昭和29年)2年の時山岳部があった事を知り、男子第1回の津山弘志先輩に連れられて1週間秩父全山縦走をした。私が3年になり私が部長になると2年、1年と大勢の男女が入部した、新人歓迎山行は乾徳山で、奥多摩の沢登り、尾根歩き等、夏休みは1週間の南アルプス縦走で顧問の関塚先生が同行してくれた。
*昭和30年春休みに同期の松尾達が大菩薩登山に行き「勝縁荘」に泊まり「こんな山小屋があったらいいな」と言ったら、勝縁荘の主人の益田さんが「校長先生を連れて来なさい」と言った。9月に1泊で、3年の私がリーダーで生徒部員11名と近藤校長、山岳部顧問の関塚、田原両先生、事務方の小林さん?とで、塩山からバスで裂石登山口迄行き徒歩で大菩薩上日川峠経由、勝縁荘に行き、先生方は勝縁荘に泊まり、生徒達は現在山小屋のある当たりに幕営した。相談の結果山小屋建設の方針が決まり、山梨県との交渉は益田さん(元塩山町長経験者)建設資金は8回生、9回生の卒業積立金を当てる事で31年?頃から工事が始まり、益田さんの世話で中古の小屋を分解して馬の背で荷揚げし組み立てた。
*その後学校の夏の行事としてクラス毎に使用するようになる。昭和63年頃迄夏の学校行事として続けられた(山岳部OB以外で山小屋を利用する卒業生はこの時代の人が多い)
*高校を卒業した山岳部員たちの多くは山登りを続けて行き「武峰山岳会」を組織してヒマラヤを目標に活動する。大学山岳部で活躍する者、探検部を創立する者(東京農大:向後元彦、信州大:関根倫雄=1992年7月タイ航空の飛行機事故でカトマンズ郊外で事故死)たちがいる。
*1990年(平成2年)山岳部OBの10回生若井博(後の二代目同窓会長)から学校は進学高を目指すから山小屋は撤去し山梨県に返すとの連絡を受けて、「とんでもない我々の思い出の山小屋だ、OB会で管理運営するから学校側と相談してくれ」と同期の高橋康昌を事務局長に、1991年(平成3年)1月15日に武蔵高校山岳部OB会を招集した。吉祥寺の「中央飯店」に59名が出席し、5回生の津山先輩を会長に選び、皆で協力して山小屋を管理運営して行く決議をした。今までの山小屋は素人設計で非常に使いにくかったので、この際大改造しようと募金し約300万円程集まった。最初に資材運びの道を開き、その後、ほぼ現状の様に大改修した。その後も多くのOB達が山小屋に通い修理改造をして住みやすく、使いやすくして行った。
*以後、宮崎事務局(19回生宮崎敬士)を置き、年間行事の新入生歓迎会を兼ねた「小屋開らき」還暦会員の「やまねの会」「小屋締め」等。武蔵高校卒業生、家族達が使用する場合には、誰かに小屋番に行ってもらい、使用後の火の始末、戸締り等をするようにしている。
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