8回生・馬場 健治

*黒部川源流雲ノ平の下、立石より黒部奥廊下、中廊下を下降して平の渡しから、針ノ木峠を越えて針ノ木大雪渓を下り大町市に至る計画だったが、黒部源流を下り始めた頃日本海を猛烈な大型台風9号が通過して、日数と食料不足で信州側に降りられなくなりった。そこで緊急脱出最短ルートの薬師岳「金作谷」を登り富山県側に降りた結果、お金が足らなくなり東京迄帰れなくなった。それで後輩の金子君が「金策」に行く事になった話。

*1963年(昭和38年)8月6日~15日
 6日 火(晴) 新宿発23時急行第二白馬号

 7日 水(晴)6時10分大町駅着、バスで七倉終点下車、9時45分出発し、足の裏に沢山の「マメ」をこしらへ、いやになるほど歩き16時半湯俣着、台風9号接近のニュースで下山してくる登山者が多かったが、我々は露天風呂に入り缶ビールで乾杯し快適な夜を過ごす(テント泊)

 8日 木(晴)6時10分湯俣発、伊藤新道(現在廃道?)のワリモ沢、赤沢を経て、15時三俣山荘、17時半岩苔谷乗越下着(テント泊)

 9日 金(晴)7時半発、8時稜線に出て携帯ラジオで台風接近のニュースを聞く、10時水晶池、11時高天原山荘、11時半~14時休憩(昼食、野天風呂に入る)オクノタル沢をくだり17時半立石着、夕立アリ(テント泊)

 10日 土(曇り)台風接近で休養,台風は日本海に抜け大陸方面に向かうと判断

 11日 日(雨)朝、雨だったが、まもなく台風は去り天候回復すると思い、9時半雨の中を出発し10時半赤牛沢を通過したが風雨激しく(14時)上廊下S字上部で岩穴をみつけて暫く休憩したが風雨やまず、15時ビバークする事に決定した。

 12日 月(雨)天候は回復せず、ここ迄来たら先に行くしかなく雨の中を9時半出発、対岸に渡る必要に迫られ11時、増水し渦巻く本流をザイルを使い命がけで渡渉する。13時15分滝ノ沢手前で立ったまま腹ごしらえして出発したが、風雨激しく全身びしょぬれで疲労困憊し14時半、金作谷出会いにテントを張れそうな場所を見つけて泊まることにした、流木を集め得意の大焚火で濡れ物を乾かした。

 13日 火(晴)朝、目を覚ますと台風一過の青空、皆で協議の結果、危険の多い増水した上廊下を何度も渡渉し下り、針ノ木峠越で大町に出るには日数食料不足で断念、金作谷を登り薬師岳頂上から太郎兵衛平,有峰、富山に下山するコースに変更する事に決めた、金作谷を見上げると1km程上流の右股に大きな滝が見えて、時々水の色が濁水に変わり雪渓も不気味に口を開けていて薄気味悪く思わず身震いした。8時半出発し、ひたすらガレを登り上流の土砂崩落で時々褐色に変わる大滝の左側を巻いて、10時クレバス上で小休止、断続する雪渓を登り13時カール下で昼食、北薬師との稜線に出て14時半薬師岳(2,926m)に無事到着、記念写撮影後、薬師平を経て16時15分太郎兵衛平テント場着(早速、台風で下山した登山者の残した残飯を拾って空腹を満たした)夜はテントの中から満天の星を眺めて無事生還の幸福感で皆で山の唄を楽しんだ(テント泊)
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 14日 水(晴)7時10分出発、元気一杯足取りも軽く太郎小屋を経て駆け下る,10時折立着、車道を歩き始めたらトラックが来たので乗せてもらい11時15分有峰で降り、14時発バスで小見(現有峰口駅)富山地方鉄道立山線で17時頃富山駅着。
金子君が富山市内在住の叔母さんの所に「金策」に行っている間に今泉、西明、馬場の三人は、駅前の銭湯に行きさっぱりした(ここだけのないしょの話:富山駅前の銭湯の番台は低く女風呂の脱衣所が丸見え)途中トラックに便乗させて知り合い、食べ物をたかった東京の三人組女の子達の裸が「バッチリ見えちゃった」後で話を聞いて金子君の悔しがること悔しがること、それ以後金子君は黒部川上の廊下山行の話になると必ず文句を言った「オレが恥を忍んで叔母さんに頭を下げて金借りに行っている間にオマエラだけがイイ思いをしていた,,,,,と

 15日 木(晴)前日の富山から夜行列車に乗り早朝上野駅着

*その後の調べで大型で強烈な台風9号は8月9日九州大分付近に上陸し10日山口県を横断11日~12日、日本海を北上し秋田付近に再上陸し北海道沿岸へ抜けた。黒部上廊下行動時の大雨はこの台風の影響だった。

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